ことばの有用性と副作用

われわれ人間は、自らが作り出した道具である「ことば」に翻弄されていると思います。

ことばは、
・ものごとを伝達するのに非常に便利で、なくてはならないもの。
・選び方によっては、誤解を招く原因にもなるもの。
・装飾することで、付随して生まれる感情を増幅させるもの。
・ときに、邪魔になるもの。

頭や心の中にあるだけのものは不確実で、ことばに出したことのほうが確かな基準として考えられがち。もちろん、仕事をはじめとして客観性が求められる場面では当然そうなるでしょう。

ですが、主観が重要な要素となりうることではどうでしょう。友人、家族、恋人などとの心のつながり、音楽、絵画、舞踊などの芸術、などが主でしょうか。

ことばに出さなくても、いやむしろ出さないほうが強烈に伝わることもあるでしょう。無理にことばで示そうとすることでニュアンスが変わり、感覚で授受できたほうが正確で感動が深かったかもしれないことの魅力を失わせることだってあります。

それでも、生まれたときからことばの中で育ち、大半のことをことばを介して教わる社会に生きていると、ことばで受け取ることで最も安心したり傷ついたりしてしまうようになるのでしょう。

当然だけど、ことばにする以前に感覚をちゃんと持ち合わせている人間。感覚は、決して不確かなものではないはずです。なのに、ことばで表せないからといってその価値を低く捉えてしまうようなことは、もったいないから極力やめたいものです。人に対しても、自分に対しても。

ことばはあくまで道具。自らが作った道具に自分の内面の感覚を押さえ込ませてしまっている場面は、けっこう多くあるように思います。そしてそれに気がついていない人も、けっこういるように思います。

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