自分らしく在れる条件

あくせく、せかせか、何かに追われ続けていて余裕がないと、本来の自分ってどうだったかなと見失いがち。

だけど、考えごとが好きなタイプの私は、あまりに時間がありすぎても、あらゆる方面に細部に広さにあれこれ考えすぎて、これまた、自分ってどんな感じだったっけ?とわからなくなる。

ということに最近気がつきました。

 

とってもゆるやかな職場で3年半勤務したあと、約1年の無職期間があり、なんぼでも考えることができてしまった時期を経て、短時間だけど日々忙しい仕事についたからかな。

考えごとというのがここ数年の私の場合は、自分が反射的に「こうだよね」と思うことはあくまで自分の主観で、それだけで行動したり特定の感想を持ったりするのは危険、違う視点から見ればこうかもしれない、だから自分のこの感想はちょっと横に置いておこう、てなことが多かったのです。

異なる視点があることを認められる人になりたいと思って始まったこの癖ですが、自己否定癖のある私がこれをやりすぎると、自分自身の視点・感覚を優先度低く見るようになってしまい、自己主張することが悪いことのような、以前ならありえなかった感覚が芽生えて定着してしまったのです。だから苦しくなるんだろうなー。

だけど、あらゆる異なる視点をいちいち自分の頭の中で生み出すなんてやってられないくらいの忙しさの中にいると、自然と、自分の感覚に基づいた言動をとるようになっていったのです。

そのほうが、ちょっと変わり者の私の場合は、自然と他の人と違う言動が増えてしまい、周りが「んっ?」という反応をすることも増えますが、ひきかえに、この数年常に抱えていたもやもやが徐々に減っていくのを感じています。

それに、人と違った言動でも、「こう思うからこうした」とはっきり示せることを行っていたほうが、最初は「んっ?」だった人も「あー、あなたはそう考えるのね」と納得した反応に変わっていくのも感じています。(もちろん、周りの人が、他者を認める気持ちを持ってくれているから成立することなので、すべての環境でそうなるとは限りませんが!)

自分の感覚あとまわしで人の言うことを常に優先していると、相手の考えを尊重していることにはなるかもしれないけど、自分が加わってのコミュニティ形成には消極的である、ってことになりますよね。という意味でも、自分を偽らずにいる(むき出しの野生児でいるのとは違いますが)のは大切だなと、今更ですが実感しています。

 

でも、短時間勤務(=低収入)なのに激務はつらい!ので、フルタイム案件を求めて就活中なこの頃です。

でもでも!今の仕事、いろいろ気付けて勉強になって、やってよかったと思います。

そしてこれまで属したどんなコミュニティも、自分の引き出しを増やしてくれた貴重な経験だなあと実感しています。思い出せば、説教してやりたい過去の自分もいるけど、10年後には今の自分に説教してるかもしれない、から、反省ばかりしてないで、そういう自分を仲間としていさせてくれた人たちにとにかく感謝して、前に進むのです!

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